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見たまま、感じたまま、思ったまま

私の音楽遍歴(その1

最初に

>いきなり結論めいた事を書いてしまおう。
と、言うのは読む人が最後まで読んでくれるかどうかわからないし、僕自身最後まで書けるかどうか自信が無いからだ。

音楽には偶然の出会いがなければならない。「教養」とか「情操教育」の名の下に音楽を(子供に)聞かせると、その音楽は一番遠いところにある音楽になってしまうだろう。

僕は幼稚園とか保育所の頃、親にクラシックを聞かされて居た記憶がある。
たぶん世界の名曲全集って感じのやつだったのだろう。
今覚えてるのは、怖かったという事だけだ。ベートーベンなんかいきなりでかい音でジャーンとなったりして、それからショパンとかは旋律も妙にもの悲しかったりして、夜に悪い夢をみたような記憶がある。

そしてそのせいか?今まで、かなりの種類の音楽に自分なりに接してきたが、結局クラシックは自分から一番遠いところにある音楽になっている。
もし、クラシックとの出会いが、親に「教養のため」とか「勉強のため」とされた物ではなく、親がクラシックが好きで、よくレコードをかけており、彼らのそばに居ることで、自然に触れるようになったのであれば、また違った展開になっていただろうと思う。

音楽には偶然の出会いが必要だ。パチンコ屋で(笑)、本屋で、ふと耳に飛び込んできたメロディーに耳を奪われ、夢中でそれが誰の何と言う曲か探し回った経験はないだろうか?
レコード屋でふと目にとまったジャケットに目を奪われて、どんなミュージシャンかも全く知らないままに、そのレコードを買ってしまった経験はないだろうか?ジャケット買いというのは、あまりはずれが無いから不思議である。

だから僕は自分の子供たちに、こんな音楽を聴けとか言うことを言わない。
自分の好きな音楽をかけてるだけである。寄ってきて興味を示せば説明する。だから、うちの子供たちは小さいときから変わった音楽ばかり聴いてるのかも知れない。だから彼らが大人になれば、案外クラシックばかり聴いてるような気もするな(笑)。

では、本題に・・。

<黎明期>
先ほど書いたように、小学校に上がる前は親に与えられたクラシックを「教養として」聞いていた。今でもそのころの音楽の記憶はほとんど欠落して居る。それと、ヤマハの音楽教室。ここには2年?行った。これも自分の意志でなく、親の「音楽くらいやっておかなきゃ」という教養主義からである。
時々楽しかったような記憶が残っているのと、今でも鍵盤を適当に押さえることが出来るのは、そのおかげだろうか?しかし、この教室のために買ってもらったオルガンは、その後全く使われず、実家で永い眠りについたままである。

<小学校時代>
低学年の頃は、全く音楽の記憶が無い。たぶんもっとおもしろ事が他にあったのだろう?あ、そういえば通信簿でほとんど3か4だったのに、音楽だけ5がもらえた事があって嬉かったような記憶が・・。
4年生頃から、テレビの歌番組を中心として音楽に触れるようになる。よく見ていたのは「紅白歌のベストテン」だった。当時グループサウンズのブームが終わりかけていた頃で、それでもタイガースがかっこいいなあと思ったのを覚えている。そして、このころ一番好きだった歌、そして初めてレコードを買った曲であったのが、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」。この歌は今でも好きだ。ちょっとR&Bっぽい雰囲気(前奏のブラスなど)や、ばたくさいあの尾崎のもみあげ、そしてハリのある声。昨年、若くして急逝した、元「ボ・ガンボス」(古くはローザルクセンブルグ)のボーカル、「どんと」のベスト盤を買ったら、このまた逢う日までのカバーが入っていて嬉しくなった。

で、確か5年生の時だったと思う。家族で海に旅行に行ったときに、その旅館に少年マガジンがおいてあった。その記事にフォークの特集で、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸などの写真、歌詞が載っていたのだ。長髪にギター、GSとはまた違った自由でボロイ雰囲気、自意識が芽生え始めた頃の少年にとって、何よりもカッコよく、新鮮にうつったのだ。

しかし彼らはテレビに出てこなかったのでまだ遠い存在だった。しかしベストテンにはジローズとかがでて、「戦争を知らない子供たち」などを歌うようになっていたので、何となくフォークの雰囲気を感じられるようになっていた。彼らの歌を求めて、ラジオの深夜放送を聞くようになったのは中学になってからである。

・・・その2に続く・・



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